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ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

(後編)魔法の蝕み

※こちらは「(前編)魔法の蝕み」の続きになっております。適度なグロ表現にご注意ください。




























 夜が明けた。
 全身に充満する魔力は健在だった。夜の間に消えるんじゃないかと思っていたが。
 もしかしたら、まだ奴がいるのではないだろうか。そう思った。
 まだ油断はできないのかもしれない。気をつけよう。
 今日は化け物茸を集めに行こう。
 今度アリスとパチュリーに何かお礼をしようと考えながら森の中へ出かけた。
 茸集めは順調に進んだ。が、おかしなものを見つけた。見知らぬ少女。倒れている。
 妖怪じゃなさそうだ。奴らは、茸の胞子のせいで近づけないはずだから。
 迷い込んだ人間なのか。何はともあれ、放って置くわけには行かない。
 私はその女の子を抱きかかえ、家に運んだ。
 簡単な風の魔法を使い、家の中に綺麗な空気を取り入れる。
 少女をベッドに寝かせて、昨晩の残りもののシチューを温めた。
 少女はすぐに目を覚ました。
「う! けほっ……ごほっ……!」
 咳き込み、呼吸を整えているようだ。
 だが、それもすぐ収まる。茸の胞子にやられているだけだから、空気のいいところにいればそのうち治るだろう。
 見たところ、怪我もないようである。
 落ち着いた彼女は周りを見回した。知らないところに連れてこられたわけだから、当然の反応だった。
 私と目が合う。少女は顔を赤らめた。
「おはよう、気分はどうだ?」
「あ、あの……」
「うん?」
「霧雨、魔理沙さんですよね? わたし、あなたに憧れてここまで来たんです!」
「それは光栄だな」
「それで、あの……弟子にしてください!」
「……」
 少女は目が覚めるなり、私に弟子入りしたいと宣言した。
 魔法使いになることがどれだけ大変であるか、知らないだろうに。
 同時に、彼女を連れてから心配していることがある。それは昨日の奴が復活してこないかだ。
 目の前にいるのは正真正銘の人間。魔力や妖力、霊気のかけらもない非力な人間である。
 乗っ取られたりでもされたら、きっと彼女を殺めてしまうだろう。今はもういなくなってくれているから、杞憂なのかもしれないが。
「あの、わたし本気なんです! 家を飛び出してきたんです! だから、無理だと言っても帰れません!」
 なんて自分勝手な奴なんだと思った。正直、弟子なんて持ちたくないから。
「あのな、魔法使いっていうのは大変だし、命賭けなんだぜ。妖怪に狙われて、周りの人からは不吉だと嫌われ、普通の奴からは仲間はずれにされるんだ」
「構いません!」
「大体、魔法使いになってどうするんだぜ?」
「そ、それは……言えません」
 言うのが恥ずかしいそうだ。私も、どうして魔法使いを目指したのかと人には言いにくいが。
「あー、わかった。だけどな、弟子には取れない。だから諦めて帰りな。送ってやるから」
「嫌です! いい返事をもらうまで帰りません!」
「あんた、帰れないんじゃなかったっけ?」
 困ったことになった。どのみち、あの胞子に耐えられないようではここで暮らすことなど不可能であるのに。
 力づくでも彼女を袋に押し込めて、家まで運んでやろうか。
 それとも、人間を食べちゃうぞなんて言って脅して帰そうか。そんな風に思った。
「いいぜ、お前を弟子にしてやるよ」
 自分の口から出たその言葉。それは私が言おうとして言ったものではなかった。
 全身が痺れ始め、頭痛がする。奴が現れた証拠。
 気付いたときには遅かった。体の主導権は、とうに握られている。
「本当ですか、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
 ばか、やめろ。逃げろ、殺されるぞ。
 言葉は思い浮かんでも、口にすることはできない。私は、意識の中だけの魔理沙にされてしまったから。
「ああ、じゃあ早速契約を結ぼうか。契約書を書くから少し待ってくれ」
 妖怪の私は一枚の羊皮紙に出鱈目な文字を書き出した。契約とは全く関係のない魔術の文字をそれらしく見せようと並べているだけ。
 体は動かすことが出来ない。喋ることさえ許されていない。ただ、目の前の光景を傍観するのみ。
『見ているだろう、魔理沙。今からあの人間を殺して、食べてやる』
 そんなことさせないぞ。意識をしっかり持ち、必死に叫んだ。それでも、奴は全く動じない。
『もう無駄だぜ。昨日のあれは安心させるためにわざと引っ込んだんだ。もう無駄な足掻きはよしな』
 でっち上げの契約書を少女に渡した妖怪の私は、道具入れから刃物を取り出して彼女に見せ付けた。
「あんたの血で、ここにサインをするんだ」
「は、はい!」
 少女がナイフで指を切り、血で名前を書き始めた。
 そんなことやめろ。それは罠だ。嫌だ嫌だ嫌だ、この先を見せ付けるな。
 否定しても、拒否しても、目を閉じることはできない。強制的に見せられるようである。
『強制的だって? きちんと見届けられるって思えよ』
 見たくないに決まってるだろう。叫びは無念に終わる。
 名前を書き終えた少女は指を咥えて、出来損ないの契約書を見せた。本人はとても嬉しげである。
 これから起こりうるであろう惨状を知らずに。
「おめでとう。だけど、この契約書は出鱈目なんだ」
「……え?」
「騙して悪いが、生きていくためなんだ。死んでもらうぜ」
 妖怪の私は少女から刃物を受け取ると、少女の首に突き刺す。突き刺し、切り上げた。
 血が噴出す。妖怪の私は少女の口を押さえ込んで、叫び声を封じる。
「んー! んんー!」
 とても苦しそうな呻き声が響く。
 少女が私の体に反抗しようと暴れているが、同じ少女の体とは思えない私は微動だにせず、少女の体を床に押し付けている。
『見ろよ魔理沙。こいつの必死な目を。死にたくないって、言ってるみたいだろ?』
 みたいじゃない。本当に死んでしまうじゃないか。やめてくれよぅ。よしてくれよぅ。こんなもの見せ付けるなよぅ。
 私は泣きたかった。泣いて、叫んで、狂って、気を失って、現実逃避したかった。
 でも、今の私は意識だけの存在。そんなことはできない。抗え切れない。私はもう、自分を失ったから。奪われたから。
 鮮血が飛び散り、私の真っ白に洗濯していたエプロンは真っ赤に染まる。
 少女が暴れて、家の中はぐちゃぐちゃになっていく。
 妖怪の私が、止めのつもりか何度もナイフを突き立てる。
 そのうち、少女の動きが止まった。動かされた右手が少女の胸に当てられた。心臓は、動いていなかった。
『くく、あははははっ! 魔理沙、おい見ろよ魔理沙! こいつ、死んじまったぜ!』
 わざわざ言わなくてもわかる。五感だけはあるのだから。
 妖怪の私が少女の目を抉り出し、口に含んだ。尾を引いた目玉を見たときは、吐き気がした。しただけで、吐き戻すことは出来ない。
 口が動き、弾力性のある少女の双眸を噛み砕く。みずみずしい味がした。狂い果てることが許されるなら、そうなりたかった。
 そうでもしないと、目の前の現実に耐え切れそうにないから。
『見てろよ、魔理沙。今、こいつの全身にある肉という肉を食べていってやるからさあ』
 妖怪の私がテーブルにあるものを全て無理やり動かして、物が落ちていった。
 テーブルの上に少女の、亡骸となってしまった、体を乗せた。
 衣服を全て脱がし、そこらに投げ捨てる。よく肥えた、健康的な肉体だった。
『けひひ、美味しそうじゃないか。そう思わないか、魔理沙』
 うるさい。もう、なんでも好きにするがいいさ。
『そう悲観して諦めることはないだろ。もっと楽しめるように、反逆してくれよ。そうでないと支配し甲斐がない』
 もう言葉を考えるのも、面倒になった。
 横たえた少女の死体に、食らいつく妖怪の私。
 それから何日か、少女の死体と付き合った。

 妖怪の私が死肉を食べて、消化しきれないものを排泄し、お腹が空くまで横になっているだけという生活。
 一週間が経った。
 少女の肉体、内臓、脂肪全てを口に放りこんだ。血液を啜る感覚さえも覚えさせられた。
 筋肉の繊維を噛み切る感触。骨の間接にある液体を吸い尽くす音。脳味噌をおもちゃにする光景。
 腸を指に巻きつける。胃に空気を入れて膨らませてみる。耳を焼いて食べてみる。
 人体のありとあらゆる中身を、見せ付けられた。
『おはよう、魔理沙。今日はお前にとっておきの魔法を見せてやるぜ』
 もう私は何だったのか。魔理沙魔理沙と妖怪の自分に呼ばれないと、自分が誰なのかわからなくなってきた。
『しっかりしてくれよ、相棒。これからすることに、お前はきっと喜んでくれるはずだ』
 妖怪の私は、ある器具を持ち出した。それは香霖堂から取り寄せた、硬いものをすりつぶす道具。
『これで少女の骨を粉々にするんだ』
 そんなこと、少女の体を冒涜しているみたいじゃないか。咄嗟にそう思った。自分らしく、彼女に反抗した。
 同時に、自分はまだ人間なんだと再認識できた。たとえ体を奪われたとしても、まだ私は人間の魔理沙でいるのだ。
『アリスやパチュリーの言っていた言葉を覚えているだろう? 人体を使った魔術のことを。それを今から実践してやるぜ』
 体を奪われてから、こいつが休んでいる間に主導権を奪い返せないかと試みたが全て無駄に終わっていた。
 きっと今の私にこいつは止められない。ずっと、見ていることしかできないんだ。
 何といわれようが、何とも思わなかった。もう、開き直りに近かった。
『聞けよ、魔理沙。人骨の灰を魔法の燃料に使うんだ。そうすると、火力が増すんだ。増すってものじゃない、倍増されるんだぜ』
 妖怪の私は満足げに話す。私が新しい魔法を人に見せびらかせるような、そんな生き生きとした表情。
 だが、奴のしていることは間違いなく許されない行為だ。
 もういっそ、閻魔様に裁かれたい。そう思った。
『甘いぜ、魔理沙。この魔法が完成すれば、閻魔どころか神さえも滅ぼせるんだ。わくわくするだろう?』
 冗談じゃない。そんな罰当たりなこと、望んでいない。
『どうせ今のお前に私は止められないんだろうに』
 妖怪の私は小さな骨から砕き始めた。
 器具の器に入りきらないような大きな骨は、拳を振り下ろして潰してから。
 それを繰り返し、全身の骨を粉末に。少女の亡骸は跡形も無く消え去った。
 妖怪の私は粉を魔法の炎で炭にしていく作業に入る。酷く、胸が痛んだ。
 あの少女はどんな思いで魔法使いを目指していたのだろう。
 あの少女はどんな覚悟でこの森に足を入れたのだろう。
 普段、何をして過ごしていたんだろう。どんな友達と遊んでいるんだろう。
 魔法使いにならなかったら、彼女は何を目指すつもりだったんだろう。
 魔法使いになるという夢を壊そうとしたのは私だが、未来まで奪っていない。奪ったのは片割れだ。
『何を考えているんだ、魔理沙。過ぎたことじゃないか』
 過ぎたことだと? お前は人の命を何だと──。
『食べ物、だ』
 本当に胸糞悪い奴だ。誰か、この悪い奴を払ってくれる奴はいないのか。助けて欲しい。
 そうだ。霊夢が私の家に来てくれれば、こんな妖怪ぶっ飛ばしてくれる。
『霊夢? あいつは痩せていて、あまり美味しくなさそうだ』
 お前は私の友達をなんだと思っていやがるんだ。
『友達? 私にはお前がいるじゃないか。だから、他の奴は全て殺して、食べてやるんだ』
 黙れ。お前のような奴と友達になるほど私は落ちぶれていない。
『どの道、どうすることもできないくせに』
 片割れが火を消す。熱を帯びるその灰を、八卦炉の中に流し込んでいく。家の中には嫌な臭いが充満していた。
 完成したのか、片割れが嬉しそうに叫び声を上げた。
 窓を開け、八卦炉を構えている。目標は、アリスの住む館方向だった。
 ばか、やめろ! そんなことすれば……!
 叫んだ。八卦炉を構える利き手を別の方向へ逸らそうと。
 手先がぶれる。わずかに動かすことが出来た。
 直後、マスタースパーク発動。森の木々をなぎ倒し、その威力は遠くの山さえも大きく削った。
 アリスの家は、掠めた程度で済んだ。
『おっと、邪魔してくれるじゃないか』
 まだ私は完全にコントロールを奪われたわけじゃないのだろうか。希望が沸いてきた。
『惜しいことを』
 何が惜しいだ。アリスを殺してしまうところじゃないか。
『そのつもりだったんだぜ。いや、殺さなくてよかったかもな。アリスを食べれなくなるところだったもんな』
 お前は何を言っているんだ?
『助かったぜ、魔理沙。お前のおかげで次の獲物が決まった』
 やめろ、そんなことで感謝なんてされたくない。
『ところで見たか? この威力、火力、魔力。いままでお前がどれだけの茸を集めようが実現できなかっただろう?』
 うるさい。私が求めていた、弾幕における火力は世界そのものを壊そうとするものじゃない。
 でも、今ので霊夢が異変だと気付いてくれないだろうか。
 妖怪の私が遠くを見つめている。そのとき、視界の奥で、何か光が見えた。
 片割れが床に伏せた。頭の上を光線が通過。家に風穴が開いた。
 今のはアリスが操る上海人形のものなのだろうか。遠くから魔法使いが近づいてくる。気配でわかる。
 アリスだ。今のでアリスが怒っているんだろう。
『向こうからやってくるとはありがたい。妖怪の魔法使いだ、さぞ魔力に溢れた旨みたっぷりの肉に違いない』
 そんな吐き気を催すようなことを言うな、妖怪。絶対にそんなこと、させない。
 扉が蹴り開けられた。そこには、多数の人形を従えたアリスがいた。憤怒の表情で私を睨みつける。
「何のつもりよ、魔理沙! そんなに本を返したくないの!?」
「ち、違うんだ、アリス! あ、あれ?」
 思わず言葉を発すると、口から出て行った。
 奴が引っ込んだ? それならチャンスだ。今の自分がどんなことになっているのか、伝えてしまおう。
「聞いてくれ、アリス! 私の中に、もう一人の私がいるんだ! 妖怪の私がいるんだ!」
「……本当? 確かに、あなたから魔力以外の、妖力も感じるわ」
 アリスが聞く耳を持ってくれる。小さな剣を構える人形達は私を睨んでいるが。
「そいつが……そいつに操られて、私は人を殺したんだ」
「……なんですって? じゃあ今のあなたは?」
「さっきのも妖怪の私のせいだ。ちなみに今は妖怪の私が引っ込んだみたいで……」
「ちょっと待ちなさいよ。あなた、本当に人間の魔理沙なの?」
「ほ、本当だ! 頼む、アリス……私を殺してくれ。妖怪の私ごと。でないと、私はまた殺人を繰り返してしまう……」
「その、殺された人は?」
「私が──食べた」
「……は?」
「妖怪の私が、一人の少女を殺して食べたんだ。筋肉、脂肪、内臓まで、全部」
「ま、魔理沙?」
「残った骨をマスタースパークの燃料に使いやがった。その結果がさっきのだ」
「……」
 ここ一週間の出来事を思い出して、泣き叫んだ。胃の中のものを戻した。
 床に精一杯のストレスをぶつけた。アリスに許しを請うた。妖怪の私に対する罵詈雑言を吐き散らした。
 あいつ、私の体を利用して女の子を襲いやがったんだ。
 私を慕い、魔法使いになりたいと言っていた少女を。
 机の引き出しにあったナイフで喉に穴を開けやがった。酷いことをしやがった。
 その後、少女の太腿にかぶりつきやがった。一番肉が付いてるとかなんとか言って。ふざけてる。
 おまけに食べるだけ食べたら残りは魔法の材料にするなんて言って。冒涜もいいところだ。
 その次には、アリスを殺そうと企んでいたんだ。もうこんなことしたくないのに。
「わかったわ……。魔理沙の話、信じてあげるから。落ち着いて」
 アリスが手を差し伸べた。私はアリスに抱きついた。
「もう無理だ、アリスぅ……。いつまた乗っ取られるかわからないし、私はお前を襲うかもしれない。頼むから殺してくれ……」
「悲観しないで、魔理沙。もうその少女は戻らないんだから。それを悔やんで、反省して、妖怪の魔理沙を追い出しましょうよ」
「うう……アリスぅ……」
「そうと決まったら霊夢のところに行きましょう。きっと何とかなるでしょう」
「あ、ありがとう、アリス……」
 じゃあ早速行こうぜ。あれ? 口が動かない。
『茶番劇は終わりだぜ、魔理沙』
 おい、ふざけるな! 今から霊夢のところへ行って、お前を祓ってもらうんだ!
『そんなことさせるわけがないだろ? けひひ、綺麗で上手そうじゃないか、この魔法使い』
 やめろ! 逃げてくれ、アリス!
「魔理沙? どうしたの、行かないの?」
 うずくまったままの私に話しかけるアリス。私がどんなことになっているのか知らずに。
 妖怪の私が、アリスの首へ手を伸ばした。
「くっ!」
 すんでのところでアリスが手を払いのけた。私は蹴飛ばされ、距離が出来た。
「魔理沙、どういうつもり? それとも……」
「その通りだぜ。お前らが言う、妖怪の魔理沙だ」
「いいわ、魔理沙の体から追い出してあげる」
 アリスが人形に隊列を組ませて、襲ってきた。片割れが狭い家の中で動いて、人形の突撃をかわす。
 がんばれ、アリス。こんな奴倒してしまえ。
「お前もこちら側の魔法使いじゃないか。仲良くしようぜ」
「下劣なあなたと一緒にしないで頂戴。気持ちが悪い」
 再度、剣を突き出した人形の突進。片割れがそれらを掻い潜って、アリスの懐に。
 アリスを押し倒し、床へ磔に。アリスの指から続いている、人形を操る魔法の糸を熱の魔法で溶かし切る。
 暴れるアリスを殴って沈めて、首に手をかけた片割れ。
 やめてくれ、アリスが死んでしまう。
「うっぐ……ま、まり……さ」
「やめろ! 放せ、おい! え?」
 言葉は発せられる。またあいつが引っ込んだのか? いや、体の自由が利かない。
「嫌だ! 私はこんなことしたくないんだ! アリス、どうにかして私を引き剥がすんだ!」
 目の前でアリスが呻いている。何をしても力を緩めることはできない。
 なんだよ、私は何もできないじゃないか。知り合いが三途の川を渡ろうとしているのに。
「う……もう、だめ……」
「アリスぅ! 死ぬんじゃない、私を振りほどくんだ! 嫌だ嫌だ嫌だ……」
「まり、さ……ごめ……」
 アリスが泡を噴き始めた。もう反抗する力もないのか、顔を赤くして動かなくなった。
「やめろ! アリスが本当に死んじゃう! やめてくれ!」
 片割れが手を放した。アリスは動かない。咳き込んだりしない。意識が戻らない。
 綺麗な両目が私を見ていない。まばたきをしない。暴れたりしない。私の名前を呼んだりしない。
 そんな。アリスが私の目の前で、息絶えた。
「いやあああああああああアリスうううううううううううううううううううううううううううう……」
『どうだ、魔理沙。こいつの死に顔、見ただろ? お前に微笑んでたぜ』
「うう、アリスぅ……。そんな……いやぁ……うぇっく……」
『返す言葉もないのか』
「もう、私は……最低最悪の人間だ。アリスう……」
『もういい、お前は引っ込んでな。魔理沙は見ていればいい』
 アリスの死体となってしまったそれを、あの少女と同様にテーブルへ乗せた。
 片割れが食事を始めた。もう私には耐えられない。私は、意識を深く閉ざした。
 妖怪の魔理沙が、私の心と体を全て奪っていった瞬間。

 あれから何日経過したのか。
 アリスの死体はつまみ食いした程度で置いておき、冷気の魔法で冷凍保存しておいた。
 後々、魔法の材料として利用するから。
 パチュリーとアリスからくすんだ魔術書を開く。
 どの本も執筆した本人による、暗号が幾重にも仕組まれている。
 普通、魔法使いが研究、実験して得た記録は暗号化して誰かに技術を盗まれないようにするものだから。
 だが今の私にとって、そんな暗号は南京錠を破るよりも簡単なものだった。
 妖怪としての頭脳、魔法使いとしての資質、何十人も人肉を食らって魔力を得ているのだから。
 まず始めにパチュリーの本から読み解くことをはじめた。何でもいい。魔術に関する知識を蓄えて、強力な魔法を開発するんだ。
 幻想郷の誰にも負けないスペルカードを作るために。人間の魔理沙が信頼を置く、霊夢にも負けないために。
 久しぶりにお茶を飲んでみた。美味しかった。でも、人肉を搾り出して飲む血液の方が体には良さそうだ。
 項をめくったとき、背後で違和感がした。振り向くと、時空の歪みが生じていた。その奥からは、境界妖怪八雲紫が姿を見せる。
「なんだなんだ、入るならドアから入れよ」
「魔理沙、本当に堕ちちゃったのね。妖怪側に」
 挨拶はそれだった。
 力があり、古くから幻想郷に住んでいるからと言って偉い者を気取る妖怪め。
 今に見ていろ、お前みたいな奴だろうが消してやるからな。
「そんなことはどうだっていいだろう。人のことに、どうこう口出しする権利はお前にない」
「……そんなに冷たくしなくてもいいじゃない。ちょっと会いにきただけなのに」
「うるさい、私は暇じゃないんだ」
「……わかったわ、今日はもう帰る。でもね、一つ覚えておきなさい」
「何だ?」
「出すぎた行動だけは止めなさい。幻想郷のバランスを崩壊させるようなことだけは許さない」
「そうかい」
「そのときは容赦しないわよ。それじゃあね」
「さっさと消えてくれ」
 紫は音もなく、次元の狭間へ。これで安心して研究を続けられる。
 これからの私は妖怪の魔法使い、霧雨魔理沙だ。今の私に、人間の成分は残っていない。
 人間としての心を持った霧雨魔理沙は消えていった。とはいえ、心の奥底には横たわっているのかもしれない。
 生まれが人であるために、人間性を捨てることはできない。邪魔な存在なのである。
 だから、自然に引っ込んでもらうために知り合いの魔法使いを殺したのだ。
 人間とは友情とか、愛情とか、仲間意識を大事にする奴が多い。そこを突けばいくらでもいたぶることが可能なのだ。
 いずれは幻想郷の巫女こと霊夢にも消えてもらおう。人間の私が頼りにしているほどの存在だ。
 そいつの肉を食らってやれば、人間の私は勝手に絶望して勝手に自我の崩壊を起こしてくれるだろう。
 そうなればこの体は妖怪の私が全ての主導権を握るのだ。私の天下だ。
 研究を続けよう。次にアリスの本を開き、解読を始めた。
 今考えているスペルカードがイメージ通り完成すれば、如何なる弾幕を相手にしたところで揺るがない火力のスペルカードを実現できるだろう。
 人間の魔理沙を深淵に叩き落すために、自分の食欲を満たすために、幻想郷を滅ぼすという野望を果たすために、私はひたすら筆を走らせた。

 アリスの体は食料にすることなく、全て魔法の糧とした。
 お腹が空いたときは人里から適当な人間を攫って食べた。こうしていれば、直に霊夢が向こうからやってくるだろう。
 スペルカードはもう完成した。後は待つのみであった。
 今日の天気は崩れている。嵐のような雨風。嫌なことが起こりそうだと連想させる荒れた空。
 私にとっては、楽しそうな出来事が来るのではないかと待ちわびるようなもの。
 そのうちドアを叩く音か、開け放たれる音がするに違いない。鍵は開けてあるから。
 さあ来るがいい、霊夢よ。人間の私の叫び声を聞きながら、死んでいけ。
 あと少し。三、二、一……。
 コンコン。扉がノックされる。のこのこと死期を近づけにやってきた、暢気な茶飲み巫女め。
「開いてるぜ」
 ドアが開いた。雨の音がいっそう大きく聞こえるようになった。
 玄関先には雨を全身に受けて、水を滴らせる紅白巫女装束の人間、博麗霊夢が立っていた。
 私を睨んでいる。酷く腹を立てているようだ。私が何をしてきたか、十分把握しているのだろう。
 霊夢は私にお払い棒を突きつけた。
「わたしが休んでいる間に、何をしたのよ魔理沙」
「随分な挨拶だな。聞かなくてもわかってるんだろ?」
 霊夢の表情がより一層険しくなった。
「ふざけないで! 一体、どうしちゃったのよ……!」
 険しいものから、悲しみと哀れに顔が崩れていく。
「どうして魔理沙が、人間なんか襲うのよ! 変なのが取り付いたとでも言うの!?」 
 それは悲しいというよりも、信じたくないという拒否の言葉だった。
「その通りだぜ」
 予想外の返答だったのか、霊夢が怯む。
「……そう言うなら、私は全力で祓ってあげる」
「できるんなら、やってみな」
 ここで人間の私の意識を覚醒させて、喋ることを許した。片割れは目の前の状況を認識しきれていないのか、反応は薄い。
 何より、今まで心の奥底へ追いやっていたのだから。眠っていた状態だったのだから。
「れ、れい……む?」
 さっきの私とはテンションが違う声。それに驚いてか、身構える霊夢に隙が生じる。
「魔理沙? 私の知っている魔理沙ね?」
「そ、そうだ! 私は人間の魔理沙だ! 聞いてくれ、霊夢。こいつはとんでもないスペルカードを作りやがった。何としてでも止めてくれ」
 人間の私が涙を流し始める。体から水分が失われるじゃないか、馬鹿め。
「言われなくてもやるわよ」
「霊夢ぅ……私は、妖怪に体を奪われたんだ。始めに同い年の女の子を殺してしまったんだ。次にアリス。もうその先は覚えたくない程」
「アリスまで!? その、攫った人達は?」
「妖怪の私が……食べやがった! 全部! この体を乗っ取って食べつくした!」
「……」
「心まで乗っ取られて、私はもう生きてないようなものだ。これ以上この体で人殺しなんてされたくない」
「魔理沙……」
「このまま生き地獄を見るより死んで地獄に堕ちた方がましだ。私を止めてくれ。これが私からの、最後のお願いだ」
「わかったわ。何としてでも、魔理沙を止めてあげる」
「ごめんな、霊夢」
「気にしなくていいのよ。これがわたしの仕事だから」
 人間の魔理沙が、笑った。やっと苦しみから解放されるんだと、期待している笑顔。
 その期待を挫くのが、どれほどの快感になるのか。この後が非常に楽しみで仕方がない。
 霊夢が札を取り出した。私は攻撃が飛んでくるより前にスペルカードを詠唱、読み上げた。
 数々の札が飛来してくる前に八卦炉を構える。発動、砲火。周囲に魔法の炎を撒き散らした。
 自分には極力被害が及ばないようにしたものの、家が丸ごと吹っ飛んでしまった。少し困る。
 しかし霊夢を黙らせることには成功した。吹っ飛ばされて、森の木々にその細い体をぶつけたようだ。
 近くの木に身を任せて、立つのがやっとな感じ。
「うう、油断したわ……や、やるじゃない……」
「霊夢! 大丈夫か!」
 新しいスペルカードを取り出した霊夢。遅い。読まれる前に、私が霊夢に飛びついた。
 スペルカードを取り上げて、地面に押し付けた。
 こうなれば相手がいかに強い弾幕を張る人間であろうと関係ない。
 力勝負になれば相手に勝ち目が無いことなど予測済みだ。
「霊夢、何とか逃げてくれ! こいつ、このままお前を食べる気だ!
「言われなくても、やってるわよ!」
 どう足掻こうが、所詮人間。一人の少女。何が幻想郷の巫女か。
 私は人の体を借りて首にかぶりつく。が、そこに霊夢の姿は無かった。
 気がつけば、周囲を飲み込まれていた。無数の目玉が私をねめつけている。そう、隙間に放り込まれたのだ。
 これは境界を操る妖怪の仕業、紫の所為か。
 後ろに妖の気配。振り向けば、霊夢を介抱する紫の姿があった。
「まさか霊夢が負けるなんてね。そこらの妖怪ごときにしては、やるのね」
「あんたに褒められるなんてな。光栄だぜ」
「でももう終わり。これ以上の暴走は許さない。隙間の中に消えなさい」
 紫の姿が消えた。たくさんの目玉が近づいてくる。直感的に、殺されると思った。
 死人の灰を燃料にした魔砲を闇雲に放った。しかし効果は薄い。当たった目玉は怯むが、ものともしない。
 このままだと私はこの目玉共に押し潰されてしまうのだろう。
「天罰だ、妖怪め! これでお前は死ぬんだ! 私はもう、誰も殺さなくて済むんだ!」
『黙れ、魔理沙。知恵を貸そうとしないお前なんてただの邪魔者だぜ』
「アリス、今からお前のところへ行って謝るからな。ごめんな」
『くそ、四面楚歌だぜ』
 人間の魔理沙が壊れたように笑い出す。目玉共が奇妙な、甲高い叫び声をあげる。
 こんな大事なときに魔法が使えなくなるなんて。魔法が効かない奴に狙われるなんて。最悪だ。
「最悪なのはお前がしてきたことだぜー! はっはっはっはっは!」
『……』
「お前は閻魔様に裁かれて、地獄の弾幕を味わうんだ」
 世界が押し寄せてくる。目玉が私の体を潰していく。視界が暗くなっていく。意識が遠のいていく。
 私、人間と妖怪の魔理沙はここで存在を隙間に隠された。


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